震災と震災のあいだ
阪神淡路震災の後から在宅医療をはじめました。それまで17年間ペーパードライバーだったので当初は自転車で往診です。だけど山手の患者宅につくと息が上がっており「先生大丈夫か」とこちらが心配されてしまいます。その後は自動車を買い、けっこうぶつけながらもなんとか運転できる様になりました。今は30軒以上の在宅診療をしております。
今年の1月17日(震災19周年)はちょうど往診の日でした。1995年、診療所の通院患者さんの3割が全壊で家を失ったので、当然に往診宅でも震災の話になりました。ある患者さんは震災後垂水の仮設住宅から毎月90分かけて灘診療所まで2年間通い続け、やっとHAT神戸の復興住宅が当たったので帰ってきたこと、その後脳梗塞で倒れたがそれでもなんとか診療所に通ってきたこと、でもついに歩かれなくなり今は往診を受ける様になったと。そんなに遠くから通い続けた理由は「灘に帰ると元気が出て通院が楽しみだった」と笑顔。嬉しいことです。
もうひとり独身のIさんは口が元気すぎて介護のスタッフを困らせていますが、震災の朝に全壊した木造アパートから掘り出されて救助された人です。そのアパートでは数人の方が亡くなりました。直後は避難所ついで仮設共同住宅での生活、共同トイレで寒くて腹をこわしたこと、インフルエンザで倒れたときのこと、カリエスで足が次第に動かなくなったことを思い出します。デイケアの最初の利用者にもなってくれ、現在は往診と入院でケアしています。19年間の思い出を語るとちょっと涙。彼女の人生に最後まで寄り添うことができるかな。
昨年からの東日本大震災大津波・被災地域支援として私たちは仮設住宅でのセーフティーウォーキングを取り組んできました。東北の医療生協の皆さんや神戸大の学生さんにもお手伝いいただいての活動です。9月の訪問では「あまちゃん」のヒロイン訪問に客を取られつつも130人の参加を獲得し、11月の訪問では「体力付けて2回目の測定を楽しみにしていたんよ」と言っていただきました。写真を見ると皆さん良い笑顔です。セーフティーウォーキングは仮設での閉じこもり・廃用障害の予防にもなりますが、みんなで一緒に歩こうという取り組みです。人と人をつなぐための取り組みです。
震災19年後の東神戸では震災前と同じ家に住んでいる人はなんと2割という記事が地元紙にでています。震災直後の孤独死報道を思い出しつつ、ひとりひとりの被災者をつなぎながら新たなコミュニティを再構築することも私たちの仕事だと決意新たです。19年前のことを忘れない、東日本・被災地のことを思い続ける。そして福島の原発事故被害のことも思い続けていかねばなりません。