BSCと平穏死
平穏死のために
「平穏死」ということばが医療出版界でブームです。尼崎の開業医、長尾和宏先生が『「平穏死」10の条件』という本を出しベストセラーになっています。彼は終末期の患者さんを無理に生かすのでなく、その人に合った死のあり方を選ぶべきだと提案しています。
当院にも3年くらい前から病院からの逆紹介が増えました。末期癌の患者さんに手を尽くしたが打つ手がなくなった場合や高齢でケア中心の治療方針にシフトダウンするようなときに紹介状に「これからはBSCを中心とすることになりましたのでよろしくお願いします。」というように書かれています。BSCって何かいな?
ネットで検索してみると
- BSC(ベストサポーティブケア)
- がんに対する積極的な治療は行わず、症状などを和らげる治療に徹すること。
効果的な治療が残されていない場合などに、あるいは患者さんの希望に応じて、積極的ながんの治療は行わず、痛みをとったり、QOL(生活の質)を高めたりすることを目的にしたケアに徹することを指します。
※ちなみにこの言葉の正解率は3.5%だったそうです。
このBSCがうまくできたらいわゆる「平穏死」が実現できるのだろうなあと思います。しかし、ある調査によれば在宅で最後まで過ごしたい希望者の割合は2割ということです。まだまだ安心して在宅死をできる人は少ないのが現状でしょうか?
私も癌の末期や非癌の終末期在宅での看取りのためには3つの条件が必要だと思っています。
- 介護者が最低一人確保できる(一人暮らしなら少なくとも排泄は自立している)こと
- 介護ベッドを置くことができる部屋が確保できること、
- いざというときにバックアップできる介護と医療の体制がある
ことです。
私たちが在宅医療を始めた20年前には介護保険がなく訪問看護や訪問介護のシステムそのものが存在しませんでした。
医療生協で訪問看護ステーションを始めた2年目に在宅で看取った末期癌の患者さんが「在宅医療って素晴らしいですね」ということばを残して亡くなられたことを今も覚えています。
彼は会社社長で診療所の近くにわざわざマンションを借りて引っ越してきて娘さんと奥さんが交代で看護されていました。条件が整えば「平穏死」は在宅で可能ですし、今はずいぶん楽に良い条件を整えることができるようになりました。
地域の介護資源に感謝です。
在宅で静かに見送る非癌の終末期
先日、長く在宅で療養されていた独居の90歳を越えた女性が自宅でなくなりました。朝に訪問したヘルパーが病状悪化を察知して救急車を呼ぼうとしたのですが、訪問看護師が制止して当院に連絡をしてくれました。緊急往診すると彼女は意識がすでにない状態で安らかに呼吸だけしています。
私は息子さん夫婦を呼んで「最善の処置」として何もせずに見送ることを提案しました。そのまま二人に一晩付き添っていただき次の朝に看取りました。あの時あわてて救急車を呼ばなくてよかったと思います。これは最後まで自宅で暮らしたいという「生活の継続性」をかなえられたケースでした。BSCのためには介護・医療の連携が欠かせないと実感した経験でした。
入院でも「平穏死」
昨年の春に有る女性から「母親が入院していて食べられなくなった。病院の主治医は胃のチューブを入れましょうという。断ったところ、チューブを入れないなら退院してほしいといわれた。家に帰るのは怖いから、診療所で看てもらえないか。」という相談がありました。チューブは入れないで食べられるだけ食べてもらって無理なら看取りましょうということにして引き受けました。娘さんは甲斐甲斐しく面倒をみて、柔らかいものを少しずつ食べさせました。食べられる日と食べられない日がくりかえしつつ静かにお母さんは亡くなりました。
実はこの後、病院の主治医からあいさつの手紙が来ました。自分の病院では何もしないで亡くなることを許すことができずに申し訳なく思っていた。診療所で看取ってもらいありがたかったという内容でした。
診療所が病棟を持った意味はここにもあったのだなあ。入院していても平穏な死は提供できる。在宅でも病院でも施設でも満足な死が迎えられる医療の仕組みがあるべきだと考えています。人生の最後にも医療生協の役割はやはり大きいです。